私たちは、幸せになっているだろうか。3
「結婚」という切り口から考える
そもそも、なぜ「結婚」するのでしょうか。
好きな異性と、もっと、いつも一緒にいたいから。
好きな異性と、家庭を持ちたいから。自分との間に、子供をもうけ、育てたいから。
など。
もっともだなと思います。
さて、有名だ言葉があります。サン=テクジュペリの言葉です。
愛しあうとは
互いに
見つめ合うことではなく
ふたりが
一つの同じ方向を
見つめること
意味慎重な言葉です。新婚ほやほや状態なら、いつまでも、見つめあっていたい感じなのですが、いろんな意見の食い違いなどが蓄積してくると、段々と違ってくるかも
知れません。最初はこんなでなかったのに。居ても居なくてもいい存在。
最後には、できるだけ顔を見たくない存在?
見つめ合うのではなく、時には見つめ合うこともあるとして、2人の共通の目的
目標に向かって、助け合い、励まし合い、共有し合い二人三脚で行く方が元気が出るのではないでしょうか。
1人では寂しく力も出ないけど、2人なら刺激があって元気を与えたり、貰ったり、力を合わせれば、楽しく充実して何倍もはかどったりするのではないでしょうか。
私たちには、結婚が遅くなり過ぎ、残念ながら、子供がいません。子育て、子孫を残せないことは、筆舌に難く、寂しく残念なことですが、60歳を過ぎた今となっては、どうしょうもありません。
でも、妻は明るく性格の良い人ですから、2人で、話し合いながら、努力して人生に後悔をより残さないように、人生を重ねています。
出勤する時は、玄関でハグしてキスをして出かけます。家にいる時は、ときにハグしたり、キスしたり、寝るときは、時に手を繋いだりします。結婚出発して、20年経ちますが、仲は良いです。なので、前記の「家庭内別居様」みたいなのが、幸にして、なぜ、そうなって行くのか理解できていません。
私たちの結婚は、ちょっと変わった見合い結婚です。「祝福結婚」と言います。私たちの場合、神奈川と沖縄の遠距離交際で、なかなか進展しなく、家庭出発するのに5年もかかりました。破談の寸前までも行きました。電話で大きな声を出したり、私は、うつ的に希死願望が出た時もありました。
でも、今にして私は思います。結婚する前に、苦労、辛苦を舐めるか、
結婚してから、苦労、辛苦を舐めるか
どちらかではないかと。人生は平等で、甘くはないと。
苦労、辛さを伴わない「結婚」ってあり得ないのではないかと。
そもそも、人生で、価値あるステージ、状態を得るのに、継続的努力や苦労、時間などは、
絶対に必要のようです。
次回、その点などについて考えてみましょう。