私たちは、幸せになっているだろうか。4

私たちの結婚観

私たちは、60歳を少し過ぎました。家庭を出発して20年くらい過ぎます。

祝福結婚と言って、大昔のお見合い結婚に似ているかも知れません。

大昔のお見合い結婚は、親や親戚が相手候補を探し、親などが決めました。

究極な話では、本人は、結婚式の当日に、相手に初めて会うこともあったようです。

男性なら、そろそろ所帯を持って一人前に‥   

女性なら、嫁に、そろそろ行く年頃になったのだから‥   

という感じで、話が勧められて行ったようです。

当人の意思というのは、二の次かな。

結婚は、人生の重大事項なのに、本人の意思、好みなどは二の次。

現代からは、ちょっと理解し難いでしょうが、

親は、子供の性格、好みを把握していたでしょうし、何より、子供と相性の良く合う

結婚相手を理解できたでしょう。

ファッションと同じく、一番合うのは、本人ではなく、本人以外の目の肥えた人に

選んでもらった方が正確です。

 

私たちの結婚もそうでした。一種、見合い結婚です。祝福結婚といいます。

私たちの場合、36万双で、写真マッチングでした。ご父母様により写真マッチングがなされて、相手が決まり、知らされ、後日に写真や簡単な情報が送られてきて、電話や手紙などで交流が始まりました。コンピューターは高価で一般的でなく、ラインもない頃です。

私の祝福結婚は、家庭出発前に一度破談になり、二回目の祝福結婚式は、

1998年で、アメリカのニューヨークのマジソンスクェアで挙行されました。数日前に現地に飛び、宿泊したブリッジポート大学の宿舎で、初めて合いました。初めて握手をして、

女性の手が、ぷっくりと柔らかく皮膚がツルツルしていたのに驚いた記憶があります。

結婚式を挙げる前に、兄弟に障害者がいることは事前に伝えておかなねればいけないと思っていましたので、意を決してお話ししました。涙が出てきて、ほとんど会話にならなかったけど、一緒に泣きながら話を聞いてくれたことが、嬉しく、懐かしい思い出となっています。

 

 

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○奈○と○○の遠距離だったので、その後、そう簡単にお会いすることができず、双方が一度づつ現地に出向き、観光して交流しただけでした。

互いに、39歳で結婚式だけは挙げましたが、私は年齢的なこともあり、家庭出発を焦っていましたが、妻は積極的に婚活していたわけでもなく、話がなかなか進展して行かず、辛い日々を都合、5年過ごしました。女性は、感情優位のようで、気持ちが動かないことには、難しかったようです。

妻自身も、どうしたらいいのか、気持ちの整理ができず、苦しんでいたようです。

 

話が、ようやくまとまり、私が仕事を辞め、妻のいる地に引っ越し、家庭出発できたのが、2002年のことでした。