人生の究極的原理 1

人生の究極的生き方とは

 

 昨今、新型コロナ感染症世界的流行にため、聖日礼拝は、Web礼拝となっています。

昨年、11月のWeb礼拝で、説教者の教区長が、天聖経からみ言を引用されていました。

 

 人生、60歳を過ぎて、人生のあり方、姿が、短い文章にコンパクトにまとめられて

いる!!!求めて、探していたものが、コンパクトに表現されているとスパーク

しました。そして、申し訳ないのですが、その時、教区長がどのように引用されていたのか憶えていませんが、慌てて、流さないように引用元を控えました。以下、表題は、私が付けました。

 

天聖経

P.1360

2020年11月30日

 

神様の理想社

 

            真の世界平和の理想

 

         神様の創造理想に立脚した

         人生の間違えのない生き方指針

 

 

 

神様を中心として、完成した男性と女性、すなわち、善男善女が神様の祝福を受け、夫と妻として結ばれるとき、地上に天が計画された理想的な一つの家庭が出発する。真の愛で築かれた家庭が基礎となって社会が形成され、国家が形成され、世界が形成されます。真の愛が原動力となる相互奉仕の社会であり、国家であり、世界です。そこには葛藤の代わりに和睦が、誤解の代わりに理解が、分裂の代わりに団結が、自分の利益の追求の代わりに全体の利益の追求がある、犠牲と奉仕が美徳になる社会、国家、世界なのです。

 

 

 

目指すべき、間違いのない、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界の姿が、

この短い文章の中に、コンパクトに示されていると感じるのは、私だけでしょうか。

 

しかし、言葉多くなく、さらりとまとめられていますが、簡単では全然ありません。

実は、命懸けのような内容なのです。

 

真(まこと)の愛とは、本当の愛、真実の愛、神様の愛のことです。

神様は、完全無比な神様なので、神様の愛も完全無比。

一点の曇りのない、完全な愛です。

人の愛で、完全な愛は、命を代わりに差し出す様な愛、命懸けで注ぐ愛。

それも、苦痛に眉間にシワを寄せてではなく、喜んで幸せを感じての自然な行動。

近い愛情は、母親が乳幼児に尽くす無条件の愛情でしょうね。

 

そう考えると、全然、簡単ではありません。

しかし、全然、到達不可能な心情の世界でもないようにも思います。

 

人間の振れ幅は、どれだけ大きいことでしょうか。

ある人は天使のように身代わりに命を捨て他人を救うこともあれば、

悪魔のように、我が子を虐待死させてしまう人も、まれにいます。

 

将棋AIソフトが読めない手を指す藤井二冠もいれば、

同じ人間かと思えない身体能力を示すスポーツ選手もいるわけです。

 

目には見えないですけど、心情の世界もそうなのではないでしょうか。