祝福結婚について

 

「(祝福)結婚」は、キリスト教的には、人類始祖から始まっているのかと昨日、思い考えましたが、それは誤りでした。

 

聖書の創世記で、神様は被造万物を創造され、最後に人(アダム)を創造されました。

そして、人はひとりでいるのは良くないと、女性(エバ)を創造されました。

また、神は彼らを祝福して言われた「うめよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ‥ 」

創世記1章28節

 

「うめよ」とは、英訳で、fertleまたはfruitsful  です。肥える、または果実がたくさん実る

意味です。心身ともに成長せよ と解し、個性完成と解釈します。

「ふえよ、地に満ちよ」は、個性完成したアダムとエバがひとつとなり、夫婦となり子女をもうけ、子孫を増やしなさいと解し、家庭完成ととらえます。

「地を 従わせよ」とは、万物をよく主管しなさいと解し、万物主管と解釈しています。

 このように、祝福結婚は、何と、実は人類始祖からあったのですねと新しい発見をしたのかと思いましたが、誤りでした。

アダムとエバが神様から受けたのは、「三大祝福」です。受けたとき、彼らはまだ14,15歳だったそうです。堕落前で、汚れを知りませんでしたが、純粋ですが未熟な状態でした。

第一祝福の「個性完成」を成していく途上でした。

 

 

 

お話を現代に戻しましょう。

私たちが、真の御父母様より頂いた祝福は、「祝福結婚」で、「三大祝福」とは異なります。

私たちも、未熟ですが、時代的恵沢、恩恵と、真のご父母様より許可を与えられ、条件付きでですが「祝福結婚」を授かりました。

 

 み言に出会い、学び、賛同し、祝福結婚を勧められ、結婚しました。

私は30歳代だったので、早く祝福を受けてマッチングでパートナーが決まり家庭を出発させたいと願っていました。パートナーは、どなたでも受けると決心していました。反して、妻は

結婚願望が殆ど無かったようです。共に、自分のためというより、神様の許可を得て、神様を喜ばせたいという気持ちが第一義的でした。

 

 

妻は、性格がとても良くて、優しいですね。晩婚なので、子供に恵まれず、とても残念で申し訳ない気持ちもあります。しかし、家庭出発して約20年過ぎ、互いに、白髪も増え爺さん婆さん様ですが、気持ちは青年のようです。これは生涯続くかもしれません。

 

なので、同年代の方に聞く、離婚とか家庭内別居とか、同じ墓に入りたくないとか言う

冷めた夫婦の問題とは、縁がない立場にいることは幸いに思っています。