神様は、なぜ、直接的に、人類の堕落に関与できないのか?

聖書を見ると、一度だけ未曾有な規模で、人類の堕落、人類の悪世界に、神様は直接に手を下したことがありました。

 

ノアの洪水審判の時です。詳しくは聖書を見て頂きたいと思いますが、ノア家族と万物のひとつがいづつがノアの方舟に避難させ、大洪水で他を滅ぼしてしまいました。

想像ですが、人類の悪行は度を増し、詐欺、脅し、恐喝、略奪、傷害、強姦、殺人、淫行、享楽など

目に余るものがあったのでしょう。神様もどれほど憤慨されたことでしょう。しかし、

洪水審判後、自ら創造した愛すべき対象を、自ら殺戮し審判したこと悔い。二度と、このようなことはしないと語られています。

 

 

神様は、何故、直接的に、人類の堕落に関与されないのか?

 

ノアの時、洪水審判しても、その後、悪は復活して来ました。悪を根絶やししたはずなのに、悪の芽を完全に摘むことはできていなかったことを示すものです。被造万物をほぼ壊滅させたのにです。

 神様は、人類を創造されたとき、人間にだけ、創造性を付与されました。我が子のような立場で、人類を創造されたのです。正しく成長していけば、神様のように成長、進歩していける創造性です。神様が人類の堕落に、直接に関与していくことは、①人類への創造性、自立性の付与を反故にしていくものです。また、②絶対で完全無欠、絶対善の神様が、悪なる堕落に関与してくことは、堕落の存在を神様自体が認めることにもなり、神様の創造の完全性のためとも難しいと、ご父母様は解かれいます。つまり、完全な神様が創造されたものは、完全でなければならず、堕落という不完全さを内包していたとは是認できないのです。

 

良家で厳しく育てられた子供が、魔がさして不良に走ったとします。親は、力ずくで不良になった子供を連れ戻すこともできますが、それで問題は全て解決するでしょうか。それは子供のためになる最善の方策でしょうか。子供の自主性、自立性を最高に尊ぶなら、改心して帰宅できる環境を作り、待ってあげるしかないこともあります。血を分けた父子でも、子供は、親とは異なる人格を持つ別で対等な存在です。

 

神様は、人類の始祖の堕落してから、争い、喧嘩、奪い合い、傷付け合い、傷害、殺し合い、強姦、淫行、享楽など、悪が家庭、氏族、民族、国家、世界と版図を広げ、

我が子のような立場に創造した人間の苦しみ、悲しみ、痛み、慟哭、悲嘆を

生みの親の立場で、私たち人間以上に苦痛を感じながら、いつか悪から脱して我が腕に立ち返る日を待ち侘びて背後で役事されてきていると、

 人類で初めて、天地人真のご父母様は、解明されました。

 

時空を超越し、人間一人一人の心情や状況、地球や全宇宙の状況も全て、ご存知の神様は、子たる人間をどれほど愛していらっしゃるでしょう。誕生させてから、変わらない親の愛で、人類を見つめ、背後で救済の役事をされている神様です。

 

最後に、ご父母様のみ言を綴ります。

 

孤独で、やるせなく、

困難な立場で

一番孤独な立場に

いらっしゃるのが

神様なのです。

ですから神様は、

私たちの味方であり、

協助してくださり、

同情してくださるということを

知らなければなりません。