神様はどんなお方? 1
万物や天宙を創造された方を、キリスト教では「神様」と呼びます。
私は、無神論ではありません。これ程までに精緻で寸分の狂いもなく調和の取れた被造万物を見ると、それが偶然に何の法則性もなく、デタラメから進化して生成していったとは考えられないからです。
万物や天宙を創造された方を、「神様」と呼ばず、他の名前で呼んでも良いでしょう。ただ、
そうした原因的存在がなければ、結果的な被造万物は存在できないと思っています。
ここでは、「神様」と呼びましょう。
では、「神様」は、どんなお方でしょう。
被造万物は、宇宙から中性子やクオークに至るまで、物理数学的法則で、全て統括されています。その道の専門でないので、その説明は他者にお願いしますが、ひとつ言えるだろうと想像するのは、その物理数学的法則に反しては、存続、生存はできず、自然淘汰されるだろうということです。
別の言い方をすれば、神様は、ロジックな物理数学的法則に則り、被造万物を創造され、統括されているだろうということです。
これは、外面的な側面の話です。
もう一つに内面的側面があります。
目には見えない魂、精神、こころの世界の話です。
植物には、指向性が、動物には本能が、人間にはこころがあります。
こころには、喜怒哀楽があります。
では、創造された人間に、そうした精神性があるのならば、原因となる神様に、そうした精神性はあるでしょうか、ないでしょうか。
無から有は生じません。つまり、神様にも、私たちが持っている、こころの作用
喜怒哀楽を、私たちと同じか、それ以上にお持ちだということです。
聖書を読むと、神様が、怒られたり悲しまれたり後悔されたり、喜ばれたりされている記載があります。
結論として、神様は超越した科学者であり、人格神でもあられるのです。